9月に行ったイベント

9月は3つのトークイベントを観に行った。3つとも作家が出演する出版関連イベントでどれも面白かった。トークイベントは良い。もっともっと軽率に、少しでも気になったイベントは逃さず行こうと決心した。以下備忘録・感想。

 

■9/7『めしにしましょう』完結記念祭〜めしのあとはトークしましょう〜

出演:小林銅蟲先生、松浦だるま先生、担当編集岩崎さん

会場:阿佐ヶ谷ロフトA

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グルメ漫画めしにしましょう』がついに完結してしまった。何巻も続く漫画は近年あまり買っていなかったが『めしにしましょう』は大ハマりして3巻が出るあたりからずっと買い続けていたため寂しさが沁みる、しかしめでたい。

漫画家・广大脳子(まだれ だいのうこ)のチーフアシスタント・青梅川おめが(おうめがわ おめが)が作業の合間に、あるいは作業を放棄して仕事場の皆に振る舞う欲望のレシピが連なる異常な漫画だ。切り口が大きすぎて巨大なスマホのようになっているカツを揚げたり、何の脈絡もなく高級食材をぶち込んだり、数学と水産系の知識のある作者ならではの思考でレシピが試行錯誤されたりする。

广大脳子のモデルは映画化もされた人気漫画『累』の松浦だるま先生で、青梅川おめがはこの『めしにしましょう』の小林銅蟲先生自身の化身であり、実際にだるま先生の仕事場でチーフアシスタントをしていた銅蟲先生が振る舞ったレシピを基にした限りなくノンフィクションに近い漫画でもある。

脳をバグらせる独特の言語センスや、個性的なキャラクター達のダメさ、料理の概念を超越したやりすぎ飯を探求する描写が好きで、現実がニャオス(キャラ達が多用する「進捗だめです」の隠語)な時や風邪で寝込んだ時に何度も読み返してきた。何故か分からないが風邪に効く気がする。

完結記念で銅蟲先生とだるま先生がトークをなさるということで気合いを入れてチケットを取った。(銅蟲先生のイベントはすぐに完売してしまう。)とにかく一度銅蟲先生を見てみたいと思っていたがようやく叶う時が来た。しかも銅蟲先生の料理が食べられると知りとても楽しみだった。(阿佐ヶ谷ロフトAでは料理やドリンクを注文できて演者とのコラボメニューも出してくれたりする。)楽しみすぎてイベントの二日前から『めしにしましょう』を全巻通して読み返した。

会場に集まっていたのは何とも良く分からない層の人達だった。銅蟲先生はネット上での存在感が抜群でありそこら辺の界隈っぽい人達が多いかなとも感じつつ、サブカルっぽい層と言えばそうかなとも感じるし、熱心な読者の圧も割と感じて、まあ老若男女、ごちゃっとしていた・・・。

めしにしましょう』第1話に登場した「ローストビーフとポテトピュレ」だと思われる"牛肉 いも トリュフ粉 1000えん"を注文できるということで迷わず頼んだ。銅蟲先生がイベントで度々振る舞う定番メニューで、ついに自分も食べる日が来たかと嬉しくなる。お腹を空かせてきて良かった。

いつも漫画で見ていたあの料理が目の前に・・・大いなる感動に打ち震えつつ「めしにしましょう」と心の中で唱えて食べた。あーーーーー美味い・・・!キャラ達の「おいしい!」描写に心から納得する旨さ。柔らかなローストビーフに濃いマッシュポテトが合い、そこに絡みつくトリュフ粉の風味がとにかく邪悪で凄いことになっていた。それを、登壇した銅蟲先生を前にして食べるという凄い状況だった。

初めて生で見る銅蟲先生は、作務衣にがま口サコッシュを身につけ、丸眼鏡の奥のちょっと不気味な眼をお茶目に光らせる、ツイッターやテレビで見ていたそのまんまの銅蟲先生でなんだかキャラクターのようだった。青梅川おめがをかなり如実に彷彿とさせるせいか、初めて生でお話を聞いている気が全然しなかった。

担当編集の岩崎さんが司会で、だるま先生を交えて『めしにしましょう』を振り返ったり新連載『めしのあとはやせましょう』に触れたり、読者の質問に答えたり銅蟲先生のお誕生日を祝ったりプレゼント抽選会をしたりをなんとなくゆるーくやっていく会が繰り広げられ、楽しかった。が内容はあまり覚えていない!何故だ・・・。しかしずっと一人で読んでいた漫画のネタで皆が笑っている空間というのは素敵なもので、その感覚は強く残っている。

プロジェクターで銅蟲先生のカメラロールを映し出し、漫画のメニューをまとめたスプレッドシートや料理の写真等を見せてもらえたのが貴重で良かった。とはいえ銅蟲先生のプライベート写真が一番ウケており、銅蟲先生と山本太郎氏の2ショットがあの日一番の爆笑を巻き起こした。あれはずるい。このミッキーとの2ショットが表示された瞬間も最高だった。

なんというか、終始銅蟲先生の底知れないイベントスキルが垣間見えておりゾクゾクした。今回はイベントの特質上それは発揮されきらなかった気がするけれど、もっとカオスな場では凄いのだろうなと思う。"心から笑っている素振りを見せた後にスッと真顔になる"という銅蟲先生独特の挙動を目撃できたのが個人的には嬉しかった。

とにかく『めしにしましょう』を生み出したお三方の空気感に触れられる素敵なイベントだった。制作の裏話や超サブキャラに纏わるエピソードなど読者として高揚する話も色々聞けた。完結の寂しさが癒される感覚もあり参加できて良かった。

だるま先生がSyrup16gで一番好きな曲は『I・M・K』だという発言を受けて終演後に『I・M・K』が流されたのには阿佐ヶ谷ロフトAの心意気を感じてジーンとした。銅蟲先生のサイン本の受け取りに並びながら『I・M・K』に続く『生活』を聴いていたら謎のエモさに襲われ泣きそうになってしまった。

サイン本を受け取る際何か言おう何か言おうと思っていたがいざ銅蟲先生を前にすると「アッ...ありがとうございまっす...」しか言えなかった。中には銅蟲先生直筆の广先生のイラストが大きく描かれており、普段は飄々とされている銅蟲先生の漫画家としての情熱をずっしりと受け取った気がして感極まった。

それを大事にしまい、Syrup16gを聴きながら帰った。何か臭いなと思ったらトリュフ粉を喰らった自分の息で、そこそこ混んだ電車内で必死に俯いていた。よかったですね。

 

■9/25 『しないことリスト』1000冊突破記念 『しないことリスト』(大和書房)×『マジ絶望』(秀和システムトークイベント

出演:phaさん、長江貴士さん

会場:マルノウチリーディングスタイル

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先日文庫化されたphaさんの『しないことリスト』が丸の内の本屋「マルノウチリーディングスタイル」で近頃常に売上1位をキープしておりついに1000冊売れたということで記念にトークイベントが開催された。

phaさんは『ニートの歩き方』『持たない幸福論』『しないことリスト』『ひきこもらない』『知の整理術』『がんばらない練習』という6冊を刊行した元ニートの作家で、がんばらずに生きる方法を発信したり、日常の感覚を掘り下げるようなエッセイを綴ったり、最近では小説調の同人誌を制作されたりと、色々な文章を書かれている方だ。私は本屋でたまたま買った『しないことリスト』がきっかけでphaさんのファンになり全て読んだ。

ちなみにphaさんが出演した『ザ・ノンフィクション』にphaさんの友人である小林銅蟲先生の漫画制作風景が映っており、それがきっかけで『めしにしましょう』を読み始めた。phaさんには趣味の面でも生き方の面でも様々な影響を受けている。

phaさんのイベントには参加したことがあり、またお話を聞きたかったため問答無用で予約した。対談相手の長江貴士さんは「文庫X」という企画(とあるノンフィクション作品の表紙を完全に隠す形で「申し訳ありません。僕はこの本をどう勧めたらいいか分かりませんでした。」と始まる推薦文で埋め尽したオリジナルカバーでくるんで販売し全国的な大ヒットに繋がった企画)を手掛けたことで有名になり『書店員X』を出版した元書店員の方で、マルノウチリーディングスタイルで『しないことリスト』を売りまくっている当事者だ。著書『このままなんとなく、あとウン十年も生きるなんて マジ絶望』にphaさんとも通ずる部分があるということで対談する運びになったようだ。『マジ絶望』を読んで備えた。

マルノウチリーディングスタイルには初めて訪れたが、書店とカフェが併設された居心地の良い空間だった。カフェ部分が会場となりどんどん参加者が押し寄せる中、書店部分は通常営業を続けお客さんも途絶えない。後述するがこの空間が非常に良かった。しかし参加費1000円なのにドリンクと軽食(おにぎらず)を提供され逆に大丈夫かと戸惑った。

phaさんと長江さんが登壇すると会場は大拍手に包まれ、改めて人の多さを感じた。phaさんの人気は根強い。phaさんはドクロ柄のTシャツを着ていたもののいつも通りふぁーっとした雰囲気で、長江さんは想像より若くてシュッとされていた。

長江さんが進行を務め、長江さんからの質問や会場で募集した質問を軸にトークが進んでいった。進め方にきちっとした真面目さというか構成へのこだわりを感じたが、それが長江さんの理系の部分なのだろうと後で気付いた。phaさんが理系の方と対談するのは恐らく珍しくて新鮮なトークだった。

phaさんと長江さんは考え方が似ている部分も多く、長江さんはphaさんの著作を読むたびに「自分が書いたんじゃないか」と感じるそうだけれど、話していくうちに全然違う部分がどんどん出てきて真逆じゃないかとさえ思えてくるのだが、それでも二人が声を揃えて届けられるメッセージがある・・・という流れを味わえて良かった。

具体的には、phaさんは会社を辞めてからインターネットやシェアハウスを活用しつつ好きなことをしてきた方で、長江さんは大学を辞めてから人をサポートする意識で働きつつ「人生を人に動かしてもらう」ように何でも受け入れてきた方だ。二人とも世間の常識や圧力から逃れて自分なりの生き方を見出すことでなんとかなってきた方で、そういうスタンスを生きづらい現代人に提唱する意味も込めて本を出版している点で共通しているがその「自分なり」の色がかなり違っているのだなと思った。

phaさんはやりたいことをやっているが、それはやりたいことが尽きたら虚無になってしまうリスクのある生き方でもある。長江さんはやりたいことはなく何でも断らずにやっていくから虚無にはなりにくい。ニートから作家になったphaさんルートに憧れる人は多いが、アルバイトから書店員を始めた長江さんルートの方が実現可能性は高い。phaさんは昔から音楽やゲームが好きだが長江さんは音楽もゲームも通っていない。などなど・・・。

それでも「皆無理しすぎず生きて」「生き方はいくらでもある」「困ったら逃げよう」というメッセージは共通していた。丸の内という地に相応しくないようなだめな会話が繰り広げられるのも良かった。

長江さんが本を売る人だからこそ、作家としてのphaさんに対する質問が多いのも良かった。phaさんは元ニートであることや独自の生き方に着目されてインタビューを受けることが多いが、phaさんの文章が好きな身としてはもっと作家としての部分が知りたかったしもっと作家として扱われて欲しかった。今回は長江さんのおかげで"作家として登壇しているphaさん"という印象が強くて嬉しかったし、文章を書いたり本を出すことに関する様々なことを聞けて良かった。

そして、作家としてのphaさんと長江さんが繰り広げるだめな会話が書店の一般客にも丸聞こえなあの状況が最高だった。月曜の夜に丸の内の書店に寄る社会人の皆さんにもこの言葉が届いているという快感。レール外の生き方とは縁のない人がお二人の本を手に取るもしれないという興奮。私の好きな作家のphaさんがトークしている様子と、店内に掲示されているphaという名前が通りすがりの人々にも伝わるという歓び。

書店でのトークイベントは貸切にしたり会議室を使ったりして閉鎖的な空間で行われることも多いが、今回は書店の一般客にも商業ビル内の往来にも声が聞こえる開けた空間で、場として閉じていないのが凄く良いと思ったし、多くの人に読まれるべき本を書いているお二人がこの場で喋るということに大きな意味を感じた。

本当に盛り沢山な濃いトークでメモを取るか迷ったが場の雰囲気を味わい尽くしたくてやめておいた。しかしキーワード程度でもメモしておくべきだったかもしれない。ここはいつも迷う。とはいえじっくりお二人のお話を聞くことで多幸感に包まれたから良かった。多幸感に包まれ過ぎて帰りはにこにこで東京駅に突進してしまった。

phaさんが生きて存在している姿をこの目で見られるのはなんだかとても嬉しい。phaさんの存在感には癒し効果がある。普段生活する中で常識の圧力に苦しみ、自分の信じるphaさん的価値観が乱されたり掻き消されそうになることもあるけれど、phaさんの話を聞けばふっと力が抜けてリセットされる。温泉みたいだと思う。定期的に通うことで、死なないで好きに生きればいいという価値観をその都度取り戻していける。どんなに精神が濁っても、phaさんの声あるいはphaさんの文章に触れれば何度でも思い出せる。そうやって自分は生き延びていくんだなと思った。

私はphaさん寄りの発想を持っているため、長江さんの考え方には共感しつつ自分にないものを感じた。恐らくこのイベントがなければ出会えなかった長江さんの言葉は私の中に新しくて力強い風を吹き込んでくれた。世間の本流を外れたとしても何かを成し遂げよう、好きなことをしようとせず柔軟に生きていく道があるのだということ、そして何事も断らずに受け入れていく姿勢でやってみるのも面白いんじゃないかということを、長江さんの合理的な語り口のおかげか非常にすんなり受け止められた。phaさん目当てで参加したがすっかり長江さんにハマり、後日ネット上の長江さんの文章や『書店員X』を読むに至った。長江さんが勧めていた"歩きながら本を読む"というのも真似して実践し始めたらかなり良くて『書店員X』もそうやって読んだ。この出会いに感謝したい。

印象的だったのは文章に関する言及で、まずphaさんは文章を書くのが好きだから書いていると何度も仰っていた。ブログは後から編集したり消したり出来るから・・・というノリだったから長く続けられ、得意ではなかった文章もブログを通して上達した。長江さんも文章は得意ではなかったがブログを続けることで書けるようになったそうで、読んだ本について文章を書くのが習慣化し、書かないと気持ち悪いくらいの状態になったからこそ続けられているとのこと。お二人とも「ブログは自分のために書く。誰かのためにと考えるのはしんどい」と仰っていた。ブログは自分のためだけに、どうせ後から編集したり消したりすれば良いと思って軽い気持ちで書いていこう!と背中を押され、こうして書いてみている。

 

■9/30 愛☆まどんな × ゆうこす「アートって、かわいいだけじゃダメですか?」

出演:愛☆まどんなさん、ゆうこすさん、柿内芳文さん、(飛び入りで山田玲司先生)

会場:株式会社ピースオブケイク

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こちらはアートコミックス『白亜』の第2刷刊行を記念したトークショー。『白亜』は美術家の愛☆まどんなさんが漫画家の山田玲司さんとタッグを組み作り上げた初の漫画作品で、愛☆まどんなさんの美少女に対する圧倒的な感情や愛☆まどんなさん自身の幼少期の記憶を散りばめて江戸川乱歩風の物語に綴じた可愛くてえっちで狂った一冊となっている。

担当編集の柿内さんや装丁家の吉岡さんも狂っており、超大型の本から『AKIRA』をオマージュした表紙を外せばキラキラした緑色の表紙が待ち受け、中をめくれば何種類もの紙を使用したバラエティ富む構成で楽しませてくれる。愛☆まどんなさんが描いたアート作品をキャンバス地に近い紙で再現したページが漫画内に突然挟み込まれ、それらは切り取って飾ることも出来る。本の側面は蛍光ピンクで塗装されており、たった一人の職人が手掛けているためなかなか第2刷に至らなかったそう。採算度外視で仕掛けとこだわりを詰め込んだ恐るべき本で、実際に採算は取れていないそうだ・・・。

モテクリエイターとして活躍しているゆうこすさんは元々愛☆まどんなさんの絵を認知しており、書店で見かけた『白亜』に衝撃を受けてその日のうちに愛☆まどんなさんと対面し、その後愛☆まどんなさんの絵画作品を購入したそうで、その縁でこのトークがセッティングされた。

私は6月頃にアニメ『さらざんまい』の解説動画をきっかけに山田玲司先生のニコニコ生放送を見始めてそこで『白亜』を知った。当時は売り切れ状態だったが第2刷が9月に出るということで素早く購入した。これは読めば分かるけれど読まなければ分からない衝撃の漫画で、作中世界のあまりの美しさに呑まれ、作者の情念に心を掻き乱され、何度も読みながら強い影響を受けてきた。

ゆうこすさんのことはネットやCMでよく見かけつつ正直そんなに良い印象を持っていなかったが、愛☆まどんなさんのアートを買ったというツイートを見た瞬間好きになってしまった。今回のイベントは愛☆まどんなさんのお話を聞きたいと思いつつ、ゆうこすさんを生で見てどんな方なのか知りたいという思いもあり参加を決めた。

で、まあゆうこすさんに惚れた。まず登場した瞬間びっくりする程可愛くてびっくりした。物凄く似合う茶色いアシンメトリーのワンピースに黒のショートブーツ、赤いリップにキラキラの目元、暗めのふわふわ髪にシックなネイル、全ての調和が取れており完璧だった。まさにモテクリエイターを体現されていた。

愛☆まどんなさん(以下「愛まさん」)は山田玲司先生のニコ生のゲストに来られた回で拝見していたがバッサリ髪を切られており驚いた。ショートカットも凄く似合っていて美しい方だなあと思った。白亜Tシャツを格好良く着こなす出で立ちに凛としたオーラを感じた。担当編集の柿内さんもニコ生で拝見していたが、ニコ生のままの柿内さんだった。

柿内さん司会でスライドショーを用いながらのトークとなった。客層も様々だったため最初は『白亜』誕生の経緯や『白亜』発売前に開催された『白亜展』の模様、ゆうこすさんとの出会いなどが語られていった。大体の話は知っていたが目の前で本人達に語られると新鮮な感動がある。『白亜』誕生の経緯を語る流れで会場にいた山田玲司先生も登壇され、初めて生で玲司先生を拝めたことに大感激だった。しかもそのままトークに参加してくださった。

自己紹介を兼ねてゆうこすさんの10年間と愛まさんの10年間を振り返るスライドが表示されたが、これが今回のトークの軸になり良かった。

愛まさんの年表に記載された、『白亜』制作中の3年間を指す「地獄」にインパクトがあった。アート制作と漫画制作は全く別物で、漫画の技術を玲司先生に教わりながら描いていったが、アートとは違って人に伝えるデザイン的手法も必要になる漫画の脳に切り替えるのは相当大変で地獄のようだったそう。なにより愛ま先生は色に命を込めて表現をする方で、色を奪われた漫画を描くのは苦痛に近いものがあったようだ。そんな地獄の果てに完成した漫画だからこそあの迫力があるのだろう。漫画はもう二度と描かないとのことだし、『白亜』は本当に貴重で大事に読まねばならない魂の一冊だと改めて胸に刻んだ。

ゆうこすさんの10年間は驚く程波乱万丈だが、それを軽みのある語り口でサクサク振り返られるもんでついつい笑ってしまった。あんな風に過去を語れたら良いなと憧れる。“ぶりっこ”のイメージに反してロックな生き様のかっこいい女性なのだと知り、ギャップに物凄い魅力を感じた。全部ぶち壊して0から1を創造する過程が何より楽しくて、幸せが続くと壊したくなってしまうらしい。かっこいい。

ゆうこすさんは月に50冊以上は漫画を買う(しかも紙と電子と保存用で3冊ずつ!?)と初めて知り驚いたしまたギャップで好感度が上がった。余談だが口調も可愛い中にオタクっぽさやヤンキーっぽさが入り混じるのが良くて、最初から「ぶりっこです」と公言することでそういうちょっとした要素が全てギャップ萌えに繋がるのは凄い仕組みだなと思う。

そんな漫画好きのゆうこすさんだからこそ、漫画の常識を逸脱した『白亜』の衝撃は大きかったようだ。 ゆうこすさんはその後、玲司先生が愛まさんに漫画制作を提案するきっかけとなった『幸せの黄色い・・・』という絵に惚れ、人生初のアート購入に至る。

以後もアートを観に行ったり買ったりしてきたそうだが、アートの知識がない自分が踏み入れてもいいのか、買ってもいいのかと未だに気にしてしまうらしい。今回のトークタイトル「アートって、かわいいだけじゃダメですか?」を象徴する話だ。愛まさんの作品も「可愛い!」という直感を起点に買ったが、半年かけて描いた作品をそのように購入されることに対してどう思っているか?という質問に対し、愛まさんは“自分自身も知識はないしアートの好みは芸術的価値よりも作家を人として好きかどうかを重視しており、自身の作品を売る際も相手の知識量などは気にしておらず、まあ人にはよるがゆうこすさんに買われるのは嬉しかった”というようなことを仰っていた。

ここで玲司先生が「あのねー、それは美術界の責任なんですよ・・・」と口を開いた。そして、申し訳ないが記憶を頼りに私なりに要約させてもらうと次のようなことを仰った。ゆうこすさんの感じるようなアートの敷居の高さはアートの側に責任がある。本来アートは観た瞬間に感じることが全てで、子供が「きれい!」と近寄るような原始的な反応こそ相応しい。ただそれが100年も昔の作品になってしまうと当時の時代背景や庶民の生活等の知識がないとよく分からなくなってくる。その知識は確かに必要だけれど、そればかり詳しい人が偉いという風潮を美術界が作ってしまった。だからアートに敷居を感じる人が多いけれど本当は、観て感じ取るものがあるアートこそが生きているアートで、説明の必要なアートは死んでいる。ゆうこすさんが愛ちゃんの絵を観て「かわいい!」とインスピレーションを受けたのなら、愛ちゃんのアートは生きているということだ。

・・・会場がザワついた。ゆうこすさんも愛まさんも柿内さんも「はあー!」「凄い!」「アハ体験!」と興奮し、参加者も皆拍手喝采。説明の必要なアートは死んでいる!!!これからはもっと楽しくアートを観られると喜ぶゆうこすさんに共感しつつ、“本質翻訳家”としてニコ生で数々の本質を翻訳して来られた玲司先生の本領を体感できた歓びに打ち震えた。あまりにも格好良かった。

他にも印象的な話は沢山為された。(例えば、ゆうこすさんが買った絵はリビングに飾られており、自身の今後などに関して考え事をする時にボーっと眺めることが多い。迎えた当初はルンルンになっていたが最近はこの絵を前にすると無になれて良い。という話が良くて、絵のある生活が羨ましくなった。)とはいえこのトークのハイライトは間違いなくそのアートに対する意識のくだりだった。もう一つのハイライトは「かわいい」や「美少女」を巡るゆうこすさんと愛まさんの差異と共通項だろう。

ゆうこすさんはモテクリエイターとしてモテたい女子が可愛くなるための情報を発信しており、愛まさんは可愛い美少女だけを表現し続けている。二人とも「かわいい」を発信する立場だが、前記したトークイベントでのphaさんと長江さんのように、異なるタイプであることが徐々に浮き彫りになっていった。ゆうこすさんもこのような感想を記している。

「美少女」に関して愛まさんは“美少女は神話の中の女神様や天使のように触れられない聖なる存在。美少女を描くことだけは譲れないしずっと描き続ける。メイクを覚える前の子が美少女(要約)”と仰り、ゆうこすさんは“美少女といえば親友の黒宮れい。れいのように見た目はまるっと可愛いのに驚くほど波乱万丈な人生や激しいものを抱えていたりする子を推してお寿司を奢りがち(要約)”と全く別の角度で美少女観を語られた。二人の価値観の違いが表れるトークの中でも象徴的な場面だったと思う。(『白亜』を語る場で黒宮れいさんの名が出てくるのは大変エモいため、ゆうこすさんにお寿司を奢られるれいさんを貼りたい。)

とはいえゆうこすさんが『白亜』の中で好きなキャラクターに関しては愛まさんと合致していた。トーク冒頭で訊かれたこの質問を終盤まで保留していたゆうこすさんの解答はこうだった。“チューしたくなる子はカズノで、まず眼鏡っ子が好きなのと、優しくて愛に溢れたカズノがマイの妄想の中では大胆で積極的なのがアッアッアッwww(要約)”。こういう独自性のある視点で漫画キャラを語れるゆうこすさんは素敵だ。愛まさんにとってもカズノは特別なキャラで、ゆうこすさんの感想はまさに作者冥利に尽きるものだったようだ。(しかしある点に関しては齟齬があり・・・詳しくは伏せるが解釈違いという人間の悲劇を目撃してしまった気がした。それでも愛まさんが平然とトークを進めたこと、作者と異なる感受性を持つゆうこすさんが『白亜』に出会えたことは素晴らしい!)

そんなこんなでこのトークイベントは、『白亜』の第2刷を記念して振り返りつつ、アートの敷居を下げ、愛まさんとゆうこすさんの接点と差異を探っていく充実した時間となった。玲司先生の参入のおかげもありライブ感を楽しめる素敵な会だった。

私は先日初めて『白亜』を読んだだけの身だったが、これからずっと読み続けるであろう『白亜』に関する濃い体験を得られたことは大きな財産になった。愛まさんへの尊敬や憧憬も深まったし、ゆうこすさんのことも好きになって早速Youtubeを観たりしているし、これは良い出会いだった。お二人の活動を追っていきたい。アートに対しても気軽に踏み込むようにしたい。そしてこういったトークイベントには、登壇者に関する知識の少なさで気後れせず積極的に参加していこうと思う。

 

以上、備忘録終わり。リポート的な文章は難しいなーとn回目の知見を得たが「ブログは自分のために」を胸に堂々とアップさせて頂く。発言などに大きな捏造が御座いましたら関係者の方にお詫び申し上げます。