俳句をやってみよう
現代俳句を集めた『天の川銀河発電所』を読んでいるうちに俳句をやってみたくなった。学ぶ前にとりあえず始めてみた。
ちょっとした心の動きをその場で閉じ込めて永遠に持ち運べる感じは写真と似ている。カメラを出さなくても写真が撮れるようで不思議だ。
写真では写せない音の情景や頭の中の空想なんかも同じように表現できるのが良い。あと、カメラのように機材のグレードに左右されないのがとても良い。無料で創作に向かえるのは強い。
ただ写真とは違い自己満足のみで楽しむには不安定な創作だと感じた。出来栄えを自分で判別できない。季語というアイテムを通して過去現在未来の無数の詠み手とリンクする感覚のせいか、下手な句を気に入ってはいけないように思ってしまう。一人では出来ない芸術だから句会が存在するのか。
それでも自分の「あの日、あの時」が保存された句は自分にとっては絶対的に良いものだ。文章とも写真とも違うこの保存形式を気に入った。
短歌の方が馴染みはあったから短歌にするか迷いもしたが、俳句の方が考える文字数が少ないし季語のおかげで自然に目を向けられるのが良さそうに思えてまずは俳句をやることにした。
でも短歌もやってみたい。自由詩もやってみたい。国語の授業では何とも思わなかったそれらが今になってとても眩しい。
まあそれを老後に気付くよりはマシ。
そういうわけで昨日詠んだ句(短歌にしたものもある)を並べておきたい。こんなのは俳句もどきだ、でも良いねと未来の自分が笑ってくれることを祈る。
10/3
睡眠薬天井越しに丸い月
二時半のシャープペンシル秋を詠む
明日は寝て過ごすだろう秋の月
歳時記を買う金もなし神無月
伏しては起き秋を詠みつぐ丑三つ刻
パソコンのSDカードを挿すとこの横のランプが夜通し光る
秋高し烏の真似の巧い稚児
十月のサンダル寒く裁判所
ちぐはぐのパジャマ毛布にそぞろ寒
ああこれは風邪かもしれぬああこれは
とある宇宙とある銀河の太陽系
友散らす木のすくと立つ渡り鳥
関東平野の部屋にアマゾンを積む
風邪薬でも飲みに行こうぜ地球
秋の風皆エトランゼ秋葉原
見下げれば銀色こんな人にも妻
二十時間前にも秋を詠んだペン
同じ背表紙が二つ並んでハレルヤ
欲望を晴れやかに祝ぐ吾妻橋