さらざんまい展 感想

「さらざんまい展〜サラッとアートワークス〜」を観てきた。

『さらざんまい』は2019年4月〜6月にテレビ放送されたオリジナルアニメーション作品だ。

幾原邦彦監督というアニメ界の芥川龍之介的な天才の最新作で、現代における「つながり」や「欲望」について問いを投げかけ、今を生きる若者に強いメッセージを手渡す大傑作だった。自分としては2019年の日本のアニメに留まらず、全世界の全時代の映像作品の中で一番好きかもしれないレベルでハマってしまった。

あらすじとしては"浅草を舞台に、ある日突然カッパになってしまった少年たちを描く青春群像劇"としか言いようがなく・・・目と耳で体感し、身体ごと呑み込まれていくしかないアトラクション型アニメだと言えよう。

そのさらざんまいの展覧会があり池袋に駆け付けた次第。以下サラッと感想を。

まず舞台の再現エリアが凄い。

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作中の「江戸っぽいピクトグラムが歩く浅草」が完全再現されている。

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毎度お馴染みの人力車が毎度お馴染みの道を走る光景が目の前に・・・。

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涙無しには語れないあの食事風景まで・・・。

リアル浅草で聖地巡礼もしたけれど、ここには浅草以上に本物の"あの浅草"があった。

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↑実際に浅草の合羽橋で見た光景

↓池袋のさらざんまい展で見た光景

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他にも全11話のハイライトを並べたエモい壁や、

 

"尻子玉"を抜いて幾原監督になりきれる主人公矢逆一稀になりきれるフォトスポットもあり、さらざんまいの世界観にこれでもかというほど浸れた。

 

ここまで迫力あるアニメ展は初めてだった。殆どテーマパークではないか。作品内に漂っていた溢れんばかりの愛と狂気が展覧会という形でも同じように現出したのだろう。

スタッフの方も親切だったし、お客さんも男女入り混じりお子さんもいる中(さらざんまいは深夜アニメとしては異例なほど子供人気が強い。エロ描写も多いがむしろ子供の目には素朴な美として楽しく映るのではないか)皆熱心に楽しんでいた。この作品は幸福だと思う。

 

再現エリアだけでも十分満足感を得られたがメインは資料の展示である。全11話分の原画が恐ろしい量掲示されている他、キャラ原案や背景美術等の資料も充実しており、幻の初期設定や監督直筆のノートまで拝むことができた。大盤振る舞いにも程がある・・・。

自分は原画の鑑賞に長けている訳ではなく浅薄な味わい方しか出来ていない気もするが、素直に感じたことをいくつか書いていく。

 

●肉体のことを考えている

さらざんまいには実に多様な種類の肉体が登場する。主人公である中学生の男の子達をはじめとし、大人の男達、女性達、カッパ達、男の子達のカッパ態、人間とカッパの中間態、カパゾンビ、などなど・・・。

カッパという特殊な肉体を扱うだけでなく、人間の裸も多数登場するし、カッパが人間のような頭身で描かれる場面もあり、肉体描写の難易度がとにかく高いアニメだったのだと改めて気付いた。

その上で肉体描写が非常に良かった。子供と大人、人間とカッパ、どれを取ってもイキイキしているし描き分けも明快だった。特にカッパという生命体の動きは想像でしか描けないものだが、実際にこうだよなと思わせるリアリティがある。

激しく動く変身シーンやギャグシーンを一瞬の原画で見てみると躍動感が物凄い。日常ではあり得ない体勢も破綻することなく正確に描写されているところに感動した。画家や彫刻家の人体デッサンを観た時のようなグッと心に迫るインパクトはないのだけれど、動画にして人体を動かすための正確なパーツが一枚一枚手描きで描かれている様を前に途方も無い気持ちになった。自分がこの目で見たさらざんまいのキャラ達のあのむちゃくちゃな動きは人の手によって生み出された虚構の人体だったのだという事実を実感すると驚いてしまう。

カッパも人間もその他も含め、肉体のことをよく考えなければこうは描けまい、という描かれ方だと思った。説得力が凄かった。

そんなことをぼんやり考えながら見進めていったところ、非常に感激させられる原画に出会った。玲央が真武を抱き締めている一枚だ。もうそれはそれはグッッッと、肉体に肉体を食い込ませるように搔き抱いているカットで、「肉体を考えている」という印象を最大限に体現しているのがこの絵だ、これが極致!と思った。文脈を知っているからではあるけれど、その一枚の絵に見入るだけでも泣きそうになった。

 

●表情が素晴らしい

表情も肉体の一部と言えるが、こちらもやはり水準の高い表現ばかりだった。人間もカッパも豊かな喜怒哀楽を見せ、繊細な感情の機微が全話に渡って詰め込まれていたさらざんまいというアニメを構成した様々な原画を生で味わえば、言葉を失い畏敬の念を抱かざるを得ない。

特に中学生男子の細やかな心情表現が素晴らしかった。激昂する一稀、号泣する燕太、照れる悠・・・数々の名場面に込められた力を、キャラクターの一瞬一瞬の息吹を、原画の線から重厚に感じることができた。

ケッピのコミカルな感情表現にも並々ならぬ力量とこだわりを感じたし、誓のダンディーな貌(かお)も迫力満点に描かれていたり、一稀ママの柔らかな表情にも見惚れてしまう美しさがあって、とにかく一人一人が生きていた。

 

●男の子が妖艶

原画段階の細い線で描き込まれたキャラクターの方が豊かな表情に見えるケースはどのアニメでもよくあるが、今回燕太とサラ一稀にそれを強く感じた。

燕太が倒れている場面、万感の想いでリコーダーを吹く場面、汗の浮かぶ身体、眼鏡の奥の目がしっかり描かれたアップ・・・どれもやたら可愛く見えたり時々ゾクっとするほど妖艶に感じ、燕太に向ける目が大分変わった。

一稀がサラに女装したサラ一稀はアニメでも可愛かったけれど原画の方が断然可愛くて驚いた。原画には色彩がない分一稀の色が削れて女性に見えやすいのもあるだろうが、このままでは可愛すぎるから女装した一稀であることを分かりやすくするため意図的に可愛さを薄めたのではないかとも邪推してしまう。

特に自撮り写真の原画はどれも可愛すぎたしクオリティが高かった。アニメではスマホ写真として出てくる動かないカットだからまるで実際のスマホ写真を見るような軽さで眺めてしまっていたけれど、元はこんなに気合いを入れて描かれた絵なのだ、ということにハッとした。

 

●玲央と真武がエモい

玲央と真武についてはそもそもエモーショナルなシーンが多いため、静止した原画を前にすると無尽蔵のエモーションが引きずり出され大変だった。10話の大切なシーンの細かな目の動きの一瞬を絵として鑑賞できることに非常に大きな価値を感じた。

カワウソイヤァで玲央が真武の心臓を抜き出すラストシーンのカットに「レオはマブを見ている」「マブはこちらを見ている」という内容のメモが添えられていたのが印象深い。

感情豊かな玲央は目に感情が乗りやすく、逆に真武は目に僅かな感情を滲ませるくらいしか感情を出せない。だからこの"レオマブ"コンビ(レオマブという呼称は作中には登場しない非公式的な愛称だが原画さんのメモに「レオマブ 」表記が使われており面白かった)は目が印象的だと思いながら原画を観ていた。玲央と真武は全然違う目をしていてその対称性が良いと感じていたのだが、二枚セットで掲示されたとあるシーンに接して本当に驚いた。

玲央と真武が同じ目をしていたのだ。

自分の主観でしかないけれど何度観ても同じ目にしか見えない。あ、あの玲央と真武は全然違うようでいて実は同じ目をしているのか、あるいは"同じ目をしている時間があった"のか・・・と思うと胸が一杯になって堪らなかった。

レオマブに心を打たれまくった結果、物販コーナーでレオマブの原画クリアファイルを購入するに至った。

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●細かい描き込みや指定が凄い

原画を鑑賞する醍醐味として原画さんの指定メモを読むというものがあるが、今回は中々メモが多くて面白かった。韓国語のメモがちょくちょくあるのも、("アニメ制作現場"のフィクションのようなイメージを超えて)実際のさらざんまいチームを想像させる手がかりになる気がしてなんだか良かった。

メモや絵柄の描き込みが細かすぎて「アニメではたったこれだけのシーンにこれだけ費やしたのか」と素人心に思ってしまうような原画がいくつもあり感嘆の連続だった。一瞬映るラーメンの具が細かく描かれその一つ一つにメモが付けられていたり・・・。

しかし画面に映る以上はラーメンであってもキャラクターであっても同等の力を入れるべきであり、視聴者が細部だと思ってしまう部分にこだわってこそアニメ全体の質やアニメ内世界の安定性が担保されるのかもしれない。つまり、さらざんまいが常にハイクオリティであるという印象も、聖地やこの展覧会で「"あの"世界に飛び込んだみたい!」と感じる現象も、一杯のラーメンに命を込めた誰かのおかげなのだ。

ラーメン以外にもカパゾンビの造形やデコトラの細かすぎるデザインなど派手な描き込みに驚かされる原画も多かったが、地味に印象的なのはサラの握手会の楽屋だ。サラの持ち物やスタイリング用品が所狭しと並べられ、一つ一つ小さなそれらについて細かく指示が書き込まれていた。カッパをあしらった個性的なデザインのドライヤーは拡大版も描かれておりその凝り様に職人の本気を感じた。

そんな中、赤い輪郭でシンプルに、どこまでもシンプルにフワッと描かれたカワウソ長官の原画がシュールな存在感を醸し出していた。画面から伝わってくる圧が余りにも弱く、他の原画とのギャップが大きすぎてどうしても面白い。アニメに登場する実際のカワウソ長官の不気味さとのギャップも手伝って笑いそうになってしまった。だが勿論あのような作画も技術の賜物であろうことは理解している。ウッソーではない。

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●縦長の原画が格好良い

原画といえば画面に模した横長の用紙のことであると思い込んでいたが、縦長の原画がいくつも展示されており驚いた。縦長の絵を上から下に、あるいは下から上に動かせば確かにアニメになる。そう思い至らなかった自分にも驚いたが、それより縦長の原画が揃いも揃って格好良いことに驚かされた。

建物から落ちたケッピを掴もうと身体ごと下に向けて手を伸ばすサラが縦長の画面一杯に描かれた原画、あれは絵画作品として買い取りたいくらいだった。本来はギャグ寄りのシュールな場面なのに、ファンタジー系劇場アニメのクライマックスシーンのように見えた。

格好良いを超えて最早意味が分からなかったのは昔の合戦を描いた絵巻物のようなカットだ。アニメでは説明台詞の裏で薄暗くぼんやりと部分ごとに映されるに留まったその絵の原画は細密画のごとく描き込まれた大きな一枚の絵として君臨していた。いやいやいやいやいや。本物の歴史史料に見紛うほど丁寧に作り込まれた"小道具"の意匠をなぞり、涙が出そうになった。さらざんまいは凄い。

 

●背景美術が最高

さらざんまいには浅草周辺の風景がほぼそのまま登場する。浅草での聖地巡礼を繰り返した身としても、アニメの背景美術そのものが好きな身としても、さらざんまいの背景美術資料は見逃せなかった。で、もう、本当に・・・本当に素晴らしい絵画作品が並んでいて天国のようだった。

紙上に広がるあの場所この場所・・・赤やピンクやオレンジの混じり合う夕陽にキラキラと照らされる隅田川・・・でもそれは現実の浅草ではなく紙に描かれたあの世界の光景なのだと、ザラリとした紙の地を見せる外周の余白が教えてくれる。

背景のイメージを少し抽象的に描いたような絵葉書サイズの絵もガラスケースに並べられていた。それがまた良かった。あまりにも良かった。欲しいな、買い取って持って帰りたいなと素朴に思った。

背景美術とはズレるけれど、浅草の実写映像とキャラを組み合わせたエンディング動画の制作資料も展示されておりそちらにも大興奮だった。何せエンディングに映る聖地はほぼ全て回り、静止画で記念撮影したものを無理矢理動かしてなんちゃってエンディングを作成した自分としては並々ならぬ思い入れがある。

実写にキャラを合成するためにどのような手順で描いていったのか、まあ見ても分からなかったけれどへー!と感心してそれも良かったのだけれど、構想段階の資料と思われる浅草の写真たちが抜群に良かった。

写真を撮るのが(動画のキャプチャかもしれないが構図の作り方という点では同じことだ)こんなに上手い人だからあのエンディングになるのか、という納得感と、自分は同じ場所に赴きながらなんて適当な写真を撮っていたのだろうというある種の敗北感が押し寄せてきた。これは展示して下さったことに心から感謝したい。

 

●イクニのメモを前にすると人は満面の笑みを絶やせない

幾原邦彦監督のアイデアノートや構想メモの切れ端が丁重に展示されていた。敬愛する監督直筆の資料がこんなにあるとは思っておらず、その一画を目にした瞬間は神に出くわしたような心地だった。

食い入るように一つ一つの言葉やイラストを見る。するとなんだか・・・笑顔が止まらない。口角が上がり目尻が下がるのを止められない。自覚はしているがそれどころではない。目の前にイクニの直筆。さらざんまいがさらざんまいになる前のイクニの頭の中。何通りにも書き直されたセリフの断片。イクニが初期に想定していたらしい不気味なカッパのイラストについ笑いそうになる。ますます笑顔が止まらない。

私は昔からの熱心なイクニファンではないけれど、さらざんまいを通してこんなにも幾原監督に対する愛おしさを募らせていたのだと、恋愛を自覚するような独特の理解力でその時気付いた。

アニメを作る幾原監督の時間、運動、思考、願い・・・それが筆跡を通じて私の目に雪崩れ込んできた。とても貴重な体験だった。

展覧会の最初に飾られた監督からのメッセージも良かった。動揺したのかブレた写真しか残せなかったが。

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●幻のさらざんまい

他にもキャラ原案や絵コンテ、デザイン資料、台本、模型など盛り沢山の展示があり、その中で幻の初期設定を垣間見ることができたのも良かった。

if世界の物語、出てこなかったキャラクター、変更された姿や名前、それらは消滅したわけではなく、試行錯誤の過程全てが『さらざんまい』に織り込まれているのだというその感覚を視聴者の私にも共有させてくれたことが嬉しい。一方的に供給される関係を超えた「つながり」を感じられる。

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感想は尽きないが主なものは書き出せたためこの辺にしておく。

本当に行って良かった。アートワークスを通してさらざんまいの世界に浸りつつ、作品への理解や制作陣への敬意を深められた有意義なひと時だった。アニメ原画展の鑑賞経験の補強という面での学びも大きかった。(アニメ制作の仕事と対峙することは今どうしても痛みを伴うが、それを避けずに受け止めるのは自分にとってあらゆる意味で重要な態度だと改めて認識した)

さらざんまい全11話が形になるまでの4年間という歳月、一人一人の一日一日の仕事、チーム一丸となって作品に捧げてきたであろう愛と狂気、その根元にして先頭を往く監督の志。アニメの向こう側にあったその全てを受け取ることは出来ずとも、こうして手触りだけでもリアルに体感することが叶いファンとして心から嬉しい。

さらざんまいのキーワードであるつながり、欲望、愛はまず制作現場にあったはずで、だからこそ強いメッセージを纏う作品が完成したのだろう。

『さらざんまい』は愛されている。その間違いのなさが私に希望をくれた。